ゴールデンウイークの連休を利用し、2003年4月27日から5月5日まで、家内とUSAを旅行してきました。ビジネスでは何回も行っていますが、プライベイトな旅行は初めてです。
今回の旅行で、特に変わって感じたことを羅列します。
インデアナ州のグリーンズバーグに次女が連れ合いの転勤で住んでいるので、此処を訪ねるのが主目的でした。
グリーンズバーグはカーレースで有名なインディアナポリスの南に位置し、車でフリーウエーを30分近く走ったところにある田舎町です。またシカゴからは車で4時間半位掛かります。シカゴやデトロイトに割に近い(??)と言うことで、車関係の日系企業が可成り進出しています。
アメリカ大陸の中央部の北に位置するので、典型的な大陸性気候です。夏は30゜Cを超す暑さで、湿度も日本と比べれば低いですが、可成り高いようです。猛烈な雷や竜巻も頻繁に起きます。冬は零下20゜C以下となり、積雪もあります。
4月27日成田よりシカゴまでJALで出発しました。チケットは娘がUSAで買い求めた物で、家族を呼び寄せるための物で、多少安くなっているのだそうですが、日本で購入出来る割安切符より可成り高い物です。 私の会社ではUSAはイラク戦争の当事国と言うことでテロを警戒し、連休直前まで不要不急の出張は禁止しておりました。
SARSや上記の様なテロを警戒から、成田は閑散としておりチェックインカウンターやセキュリティーチェックの所は、行列が全くなく、こんな光景は初めてでした。
チェックインの前に預けるスーツケースを開けて厳重な(??)チェックがありました。人相によってチェックするのかと聞いたら、USAの法律でUSAに入国する人の物だけチェックするのだそうです。テロを防止するための措置です。
娘がチケットに「ファミリークラブ」なるオプションを付けてくれていました。これはチェックインから到着後空港を出るまで係の人が色々面倒を見てくれるものです。これに入れる資格は、60歳以上の高齢者と、保護者の数より乳幼児の人数の方が多い場合(母親だけで乳幼児を二人以上連れて行く)に適用されるそうです。成田には特別な待合室があります。乳幼児用の玩具など置いてある特別な部屋です。サクララウンジのように飲食物はありません。(飲み物の自販機はあります)飛行機の搭乗の場合、この部屋から飛行機の席まで優先的に案内してくれます。胸と荷物には特別なワッペンを付けます。
私は乗り物の中では全く眠れません。本を沢山買い込んで、もっぱら読書で12時間を過ごしシカゴに到着しました。
決まり文句の「何しに来たのか」「何処へ行くのか」「何日滞在するのか」を聞かれ、USAに無事入国しました。 荷物引き取りに行くといつまで経っても荷物が出てきません。
しばらく待っていると係の人が来て「荷物はあっちにある」と言うので行ってみると、既に集められてカートに乗せてありました。先に言いましたように荷物には目立つ特別な印が付けられていましたので、これを頼りに上記の処置がされていたわけです。
空港には娘夫婦が孫二人を連れて迎えに来ていました。
到着が朝早かったので、五大湖の一つのミシガン湖観光をすることにしました。
少々時間があったので、遊園地で観覧車に乗ることにしました。チケットを売る人の動作、観覧車に案内する人の動作、セッカチナ私にはこのノロさに参りました。今後この旅行中このことでイライラのしどうしとなります。観覧車からはミシガン湖とシカゴのビル群を眺めることが出来ました。
遊覧船に乗る段階でまたまたイライラです。定刻10分経っても15分経っても出航しません。ボチボチ来る乗客を待っているわけです。20分経ってやっと出航。シカゴ付近のミシガン湖の水は乳白色でとても汚い色でした。さすが湖上からのシカゴのビル群の景色は雄大です。
マクドナルドで昼食をとりました。今までUSAに行ったときは、どんなレストランに行っても「シーザーサラダ」とビールが決まりでした。今回もこのメニューでいきましたが今回は「シーザーサラダ」に大きなフライドチキンが乗っており、食べきれませんでした。
食事後、「Museam of Science and Industry」を見学しました。ここで有名なのは、以前日本でもその一部が公開された、人体を輪切りした標本です。二人の女性を一人は縦に、もう一人は横にスライスし、その個々の部分がホルマリン漬けとなり展示されています。デジカメとビデオで撮影してきましたが、一般公開は出来ません。
また、人間の胎児の実物サンプルが、一週間目から臨月まで一週間毎に展示されています。
面白いのは、ニワトリのひよこがタマゴから殻を破ってくる実際の様子が、観られることです。時間差のある沢山のタマゴが置いてあり、いろんな状態での様子が観られます。
見学後シカゴからインデアナポリス経由グリーンズバーグまでドライブです。多分400Km以上あると思います。有料道路の両側は殆ど畑です。丁度時期的には何もなく荒涼とした荒れ地のようでした。季節により一面のトウモロコシ畑になるそうです。有料道路の路肩には車にはねられた沢山の動物の死体がありました。鹿の死体も数体見られました。その他狸のようなものの死体とか、名前の解らない動物の死体は数限りなくありました。
インデアナポリスで有料道路を一旦降り市内の見学をしました。後一ヶ月弱で始まるインディー500の為の飾り付けが多く見受けられました。
独立戦争の犠牲者の記念碑を見学しましたが、とても大きく立派なものでした。その周りには観光用の馬車が沢山ありましたが、御者の多くは女性です。
インデアナポリスで夕食をとることにしました。 日本にもあるチェーン店、シェフの華麗なパーフォーマンス??で有名な、鉄板焼きの「紅花」に行きました。日本と全く同じパーフォーマンスで肉を焼いています。USAは肉を焼きすぎます。今回もそれを承知でレアーで頼んだら、MIDIUMを通り越してカチカチに焼かれました。ビジネスで行ったときは、やり直しをさせていましたが、今回は家族旅行でしたので文句は言いましたが、食べました。
暗いフリーウエーを通ってグリーンズバーグの娘の家に到着しました。インデアナ州はUSAでは珍しくサマータイムがありません。そんなわけで午後9時には真っ暗です。
ここで3泊5日滞在します。(実質、なか3日)
24時間以上寝ていませんでしたので、さすがに眠くなってきました、シャワーもそこそこに直ぐに眠りに付きました。目を覚ますと午前2時です。日本時間で夕方4時になります。それを思っただけで目がパッチリしてしまいました。時差ボケです。ビジネスで行ったときは日曜の午後に現地到着するようにし、ホテルにチェックイン後ゴルフをラウンドするのが通常のコースでした。ゴルフをやると時差ボケは意外に早く治ります。太陽の強い光に当たりながら運動をするのが良いようです。(人工太陽を使って、この商売をしているところがあるそうです)
二日目の朝を迎え、5時頃には外が明るくなり、小鳥のさえずりにつられて外に出ました。
屋敷は200坪以上あり、そこに平屋の住宅が建っていて、周りは全部芝生です。芝生の中に何本かの木が植わっています。こんな作りの住宅が道路の両端に整然と並んで住宅街を作っています。
此処の三日間での体験を箇条書きします。
町の中;
1.白人と日本人以外、他の有色人種は全く見ませんでした。
人種差別が非常に強い地方で、日本人の駐在員もこの問題でとても苦労しているそうです。
2.家には塀や囲いは一切作ってはいけないようで、写真の様に芝生の境もありません。
3.町中で運転している車の運転手は、町の人を見ると必ず「Hi」と言って手を挙げます。町の人も手を挙げて応えます。
4.芝生の手入れは必須事項です。芝の中に「タンポポ」が生えていてはいけません。
「タンポポ」の繁殖に困っています。 「タンポポ」駆除の農薬を蒔いて、「タンポポ」を駆除します。
芝刈りは、ゴルフ場で使うようなエンジン付きの芝刈り機で、この時期は週に二回は行います。
5.屋敷の道路に面した所に決まった形の「郵便受け」が設置されています。これは郵便受けと同時に、「ポスト」の役目もしています。郵便を出す場合、この「郵便受け」に旗の様な仕掛けがあり、これを立てると目印となって、いわゆる郵便屋さんは配達便がなくても、郵便を取りに立ち寄り郵便物を持っていきます。
とても合理的で気の利いた方法かと思いました。
日本のようなゴミゴミした町では無理な方法でしょう。
買い物;
1.日常の買い物は、町の郊外にあるスーパーマーケット(スーパー)で行います。
通常日本のスーパーで扱っている食品、雑貨、衣料、電器製品等は勿論、天体望遠鏡や、驚くなかれ、「銃」まで売っています。
値段はビックリするほど安く、チョコレートや菓子は空港の免税店に売っているものと同じものが、空港の半値から1/5程度で買えます。
2.日本人は日本の食材が欲しくなります。スーパーには殆どありません。従って日本食材店に買い物に行きます。フリーウエーで約一時間掛かりますが、週に一回は行くようです。日本で言えば我が家から東名を通って御殿場まで行くぐらいです。大変な距離ですが、アメリカでは余り気にならない距離のようです。
400Km以上走って美容院へ行く人もあるようですから・・・・・・・
郊外にて;
1.日本食材店に買い物に行く途中、遠くの畑が霞が掛かったか、カゲロウが出ているのか、不思議な光景を見ました。
「タンポポ」の花が終わり、「タンポポ」の種が実っているのだそうです。これが風で地表付近を舞っているのです。この光景が車を走らせていても数分続くのですから、大変広いところが「タンポポ」畑になっていることが判ります。花の時期は黄色の絨毯だったことでしょうが。
先に「町の中」で述べたように「タンポポ」の大量発生には自治体(国)も大変困っているようです。従って少なくとも家の周りだけでも完全に駆除するよう、指示しているわけです。
2.丁度「ハナミヅキ」の咲く季節でした。日本より一寸遅い感じです。
「ハナミヅキ」は日本に於いては、100%庭木か街路樹です。アメリカでも庭木として沢山植えられていました。しかし郊外の山に、多分野生のものでしょう。多くの「ハナミヅキ」が咲いていました。
ゴルフ場;
1.娘の家族がメンバーの、グリーンズバーグ・G.C.でプレー(???)しました。
メンバーの種類は「ファミリー・メンバー」です。夫婦と、子供までも含まれています。
生まれて初めて子供連れでゴルフをしました。5歳と3歳の孫をカートに乗せてやるゴルフです。日本では想像できますか。孫達はメンバーです。私たち夫婦はビジター。
子供が気になって、ゴルフどころではありませんでした。
自動車;
1.登録ナンバーはご承知の通り、何を使ってもかまいません。しかし通常は特別なナンバーを付けた車を見ることはありません。娘の家には2台の車がありますが、その登録ナンバーは各々に子供達の名前をローマ字で書いたものを使っています。
2.車2台はUSA製です。日本の車に比べ可成りの頻度で故障するそうです。3年で故障修理のために数十万円を使ったそうです。日本では考えられないです。
家庭;
1.家の造りは、外観は綺麗ですが、扉や建具は作りが雑でガタがあります。
2.空調は24時間、365日付けっぱなしです。長期家を空けるときでも、消すことは無いようです。ガス、電気が安いとはいえ、エネルギーの無駄遣いのように思います。
炊事は通常、全て電気です。
3.内側から閉めるノブ付きの鍵は、日本では横一文字になっているときが閉まった状態ですが、USAは縦一文字になっているときが、閉まったときです。日本と逆です。
4.風呂上がりに孫の着付けを手伝ったときに気が付いたのですが、日本では下着のゴムひもの入り口は、たいていの場合後ろです。(ご自分のパンツを見て下さい)USAは前になっています。日本の感覚で、前・後ろが逆だと言ったら、その状態が正常だと言われました。
5.洗濯物は原則、外に干しません。乾燥機を使い、機械で乾燥させます。娘の家では隠れるようにして、裏のウッドデッキの所に干しています。日本の様に派手に満艦飾とはいかないようです。
同じように布団を外に干すなどと言うことは、まず無いようです。娘の家では隠れるようにして、裏のウッドデッキの欄干に干しています。一回も日光にさらさない布団なんて、気持ち悪くなります。
グリーンズバーグからニューヨークへ移動(飛行機の中で携帯電話);
娘の家から、ニューヨークへ移動しました。
ニューヨークへ行く目的は、ニューヨーク・ヤンキースとシアトル・マリナーズの試合を観ることと、ナイヤガラ瀑布の観光です。
しかし娘達家族の案内で、ニューヨークから空路ナイヤガラ瀑布の見学に行く予定でしたが、先にも言いましたように、時あたかもSARS流行の真っ最中。ナイヤガラ瀑布にはUSA側とカナダ側から入れますが、カナダ側の入り口がトロントになります。実はトロントではSARSの患者が出ており、その影響でナイヤガラ瀑布も汚染危険地域になっていました。従ってもしナイヤガラ瀑布に行くと、娘の連れ合いは一週間自宅待機になっていまいます。そこで急遽航空券をキャンセルしワシントンDCに行くことにしました。
1.早朝グリーンズバーグからインディアナポリスへ車で移動。車は駐車場で暫くお休み。
2.インディアナポリスからニューヨーク・ラガーディア空港へ
帰国はニューヨークからの便になるので全ての荷物を持って、インディアナポリスからニューヨークへの移動となりました。
セキュリティーチェックは可成り厳しいものでしたが、無事搭乗しました。
驚いたことに携帯電話をしながら搭乗する人がいました。地上の人も、乗務員も何も言いません。日本の空港ではとても考えられません。9.11の時も、機中から電話で家族と話して居たことが報道されましたが、納得いきました。
機上ではあまり美味しくないサンドイッチを食べながら、外を眺めていました。やはり大陸は広い・・・の一言です。
無事ニューヨーク・ラガーディア空港へ到着。またまた驚いたのは、到着早々機中で携帯電話を使う人が現れたことです。勿論、乗務員は何も注意しません。
3.ラガーディア空港からホテルに移動
空港ではトラブルもなく、無事荷物も出てきて、タクシーで五番街近くのホテルに移動となりました。
大きなタクシーに娘の家族4人と我々夫婦の6人が乗りました。大きなタクシーとは言え可成り窮屈でした。後で何回かタクシーを使いましたが、同じ大きさの車でも、この人数が一台に乗ることは拒否されました。ですからこの時はよく乗せてくれたと思います。値段はよく観光案内に出ているものとほぼ同じでしたので、ボラレタなんて事はありませんでした。
続く